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BUSINESS INSIDERに掲載のタカマツハウス記事
藤原代表が語る「正直に家を売る。商売哲学」
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藤原代表が語る「正直に家を売る。商売哲学」
藤原元彦(ふじわらもとひこ)1962年生まれ。1985年積水ハウス入社。国内戸建住宅事業の営業として活躍後、北関東、東関東、神奈川の各営業本部長を歴任。2010年執行役員、2012年常務執行役員に就任。2019年に同社を退職後、タカマツハウス代表取締役社長に就任。58歳。
髙松建設が2019年、新たに住宅メーカー「タカマツハウス」を立ち上げた。社長に就任したのは、藤原元彦氏。大手住宅メーカー、積水ハウスでトップ尽くしの業績を残し「伝説のエース社員」と呼ばれた人物だ。
髙松建設名誉会長が「最後の夢」と語る戸建住宅事業。トップに起用された藤原氏とはどのような人物なのか。藤原氏が目指す「理想のハウスメーカー」の姿とは——。
藤原氏に会えば、一目で「さすが大手ハウスメーカーで歴史に残るエース社員と呼ばれた人物だ」と納得するだろう。58歳でありながら引き締まった体、ピンと伸びた背筋、よく通る声で、歯切れよく快活な話しぶり。大学時代までサッカーをやっていたという自他ともに認める体育会系で、現在もトレーニングは欠かさない。
「僕は営業担当者時代、戸建て住宅にこだわって年間30棟以上売っていました。積水ハウスでは33歳で全国にいる営業の中で日本一になって。数々の記録を打ち立ててきました」(藤原氏)
それほど仕事に打ち込んだ積水ハウスを辞める決心をし、まったく経験のない新天地に挑戦してみるのもいいのではないかと考えていた2019年初め、髙松建設の髙松孝之名誉会長と会うことになったという。
髙松建設は、大正6年(1917年)創業の歴史ある会社だ。名誉会長はすでに傘寿を超えている。若干21歳で当時髙松組の経営を継いで以降、さまざまな企業を傘下におさめ、上場企業にまで育て上げてきた。いまや髙松コンストラクショングループとして、高層ビルはもちろん、青木あすなろ建設が手掛けるダムやトンネル、金剛組が手掛ける神社仏閣まで、「建設事業の専門家集団」と呼ばれるほどになった。
そんな企業を築いた髙松名誉会長から、面会開始早々にかけられた言葉に、藤原氏は驚いた。
「『ぜひうちに来てくれないか』と言われました。『最後の夢を叶えてほしい』と」(藤原氏)
名誉会長が「最後の夢」と語ったもの。それは戸建住宅事業だ。戸建住宅事業を、髙松建設および青木あすなろ建設と並ぶ、髙松コンストラクショングループの第三の柱としたいというのが、藤原氏に託されたミッションだった。
「私が就職活動をしたのはバブルの前の時代です。衣食住それぞれの業界を回りましたが、住宅メーカーがいちばん夢があると思いました」(藤原氏)
新卒で積水ハウスに入社。初任地は宇都宮だった。学生時代からの恋人と結婚し、入社2年目に家庭を持ち、娘が誕生。本気で仕事に打ち込むようになると、あっという間に業績があがった。まずは宇都宮一、関東一、さらには日本一……と次々に成果を残し、昇進して管理職を任されると、異動する先の営業所や支社を次々と「一番」にしていった。藤原氏が「伝説のエース社員」と言われるゆえんだ。
普通の営業担当者が年間6~10棟販売するところを、藤原氏は30棟以上販売し続けた。いったいなぜ、それほど販売成績を収めることができたのだろうか。
「住宅は高い買い物。それを買っていただくのですから、まず『この人から家を買いたい』と思っていただくことが大切です。そのためには、正直であること、裏切らないこと、逃げないこと」(藤原氏)
商談では、顧客が知りたがる他社が扱う同水準の住宅との違いについても包み隠さず伝えた。そのうえで自社では何ができるか、希望に叶う家をつくるためにはどんな方法があるか、顧客の相談には24時間365日、いつでもどんなことにでも対応した。
「住宅は家族構成や好みによって、一軒一軒違う。だから面白いのです。僕は『住まいのプロデューサー』を目指していました。お客様のライフスタイルに合った、納得していただけるものを作るために、ひたすらコミュニケーションを大切にしました」(藤原氏)
これこそが、藤原氏の営業の神髄。とことん話し合い、納得ずくで家を建てた顧客は、満足度が高い。そういう顧客は自然と藤原氏を信頼し、“ファン”になってくれる。すると進んで「家を建てたい」と思っている知り合いを紹介してくれるようになる。多くの人にとって、家の購入は一生に一度の大きな買い物。嘘やごまかしをする営業担当者だったら、知り合いに紹介など出来ないだろう。藤原氏の正直な姿勢、人間性が、紹介者を呼び寄せるのだ。
「お客様が“営業担当者”になってくれるんですよ」(藤原氏)
どんなに人口の少ない田舎の町の営業所でも、どんなに過去の業績が振るわなかった地域でも、最終的には日本一になれるほどの業績を残せたのは、藤原氏が常に、顧客に寄り添うこのスタイルを貫いたからだった。
そうして、34年2カ月の間、積水ハウスで働いた藤原氏。最後まで勤め上げるつもりでいた会社を、一転して離れる決意したのには大きなきっかけがあった。
2017年、世間を騒がせた「積水ハウス地面師事件」である。積水ハウスが、都内の一等地の所有者を装った人物との売買を通じて、巨額の資金をだまし取られたのだ。
追い打ちをかけるように翌18年、取締役会でクーデターが勃発した。取締役会では会長(当時)が事件に関して、決裁者である社長(同)の責任を追及し、解任しようとした。ところが、実際には責任を問おうとした会長が、逆に解任されてしまう。藤原氏は納得がいかなかった。
「僕は、嘘をつくとか隠蔽するとか、そういう曲がったことが大嫌いなんです。大好きな会社でしたが、もうここでは働けないと思いました」(藤原氏)
当時の藤原氏は常務執行役員。同社が準備中であった木造サブブランドの新会社の社長に内定していた。それでも辞める決心をしたのは、自分を曲げることはできないと考えたから。「正直であること」を貫いて顧客の信頼を得てきたという自負もあった。
髙松名誉会長との面談においても、藤原氏の真っ直ぐさが伝わったのだろう。こうして2019年4月、タカマツハウスが誕生。6月、藤原氏は積水ハウスを離れたタイミングで入社、その後、社長となった。
藤原社長(写真右)と、その右腕として藤原社長を支える金田健也経営企画本部長(写真左)。金田氏は大和ハウス工業出身。大和ハウス工業では戸建住宅事業のマーケティング部門の責任者を務めたのち、埼玉・横浜の住宅事業部長を歴任した人物だ。藤原社長の真っ直ぐな姿勢に共感して入社を決めた。
長年、住宅メーカーで働いてきた藤原氏には、業界のことで疑問に感じていたことがあった。大手住宅メーカーのほとんどが、市場が縮小を続けているハイブランドに照準を定めてビジネスを進めていることだ。大量生産の安価な住宅を販売するメーカーも出てきているが、大きな市場があるはずのミドルハイエンドクラスを手掛けるメーカーが、見当たらない。
「僕は、もっと『ちょうどいい家』をつくるべきだと思うんです」(藤原氏)
コロナ禍によるライフスタイルの変化で、多くの人が自宅で過ごす時間が長くなった今、求められているのは、安心で長く使える、幸福感のある住宅。タカマツハウスでは、顧客のニーズや、住宅の資産価値にも気を配りながら、木造戸建て分譲住宅を販売していく考えだ。
「まったく人もいない状況でスタートしましたが、予想以上にスピード感を持ってチーム作りが進んでいます。土地を仕入れる、建物をつくる、それをまた売るという会社ですから、営業の数と力がものをいうのです」(藤原氏)
現在、営業職は23人。この4月からの数カ月で9人増えたが、1000人近い応募者から選抜した9人。藤原さんに心酔して応募する人も少なくない。同業他社での経験を持つ人材はもちろんだが、住宅業界での経験がない人、なかにはプロキックボクサーで日本ランキング2位だったという人物もいて、多様な陣容となっている。
「コミュニケーションは大切にしています。“愛のシステム作り”です。成果が上がらず、負のスパイラルに落ち込んでいるものがいれば、声をかけ、応援する。成果が上がらないのは、どこに問題があるのか一緒に分析して、そこを強化、改善すればいいんです。アスリートと同じですよ」(藤原氏)
タカマツハウスは今後、2019年に髙松建設が傘下におさめたタツミプランニング、2018年にグループ入りしたミブコーポレーションとともに、住宅事業を展開していく。ビジネスの「攻め」の部分を担う優秀な営業部隊が育ちつつあるのと同時に、大和ハウス工業出身の金田健也経営企画本部長はじめ大手住宅メーカーでの豊富なキャリアを持つ経営陣が、経営戦略を描き、次々と実行に移していく。さらにガバナンス・コンプライアンスに目を光らせ「守り」の部分で支える。
「リーダーとして、透明性、公平性のある会社づくりをしていきたいですね。理不尽なことをなくし、正しくやって、実績を出す。そんな会社が理想です」
「正直であること」をモットーに伝説を作ったエース社員がつくる住宅メーカー、タカマツハウス。今後の展開から目が離せない。