この対談では、「稀立地(マレリッチ)」というコンセプトを広めていくため、文化的活動の第一線で活躍されている方々に、歴史や文化性を持つ土地についての知見やご経験を伺います。
第二回の対談相手は、テクノロジーと社会、ジェンダー、身体をめぐる問いを、映像、インスタレーション、音楽、ロボティクスなど、多様なメディアを横断しながら表現するアーティスト、Sputniko!(スプツニ子!)さん。世界のさまざまな都市を拠点に活動してきたアーティストならではの視点から、タカマツハウス代表・藤原との対話を通じて、「稀立地(マレリッチ)」の本質的な魅力に迫ります。
藤原社長
タカマツハウスでは、「稀立地(マレリッチ)」を「限られた供給に対して、圧倒的な需要が存在する土地」と定義しています。
つまり、単なる希少性や利便性だけではなく、「住環境としての質の高さ」、そして「時を経ても色褪せない価値」を兼ね備えた場所です。
今日は、グローバルな視点から見た日本、そして東京について、稀立地の面白さや価値を語っていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。
スプツニ子!さん
もちろんです。よろしくお願いいたします!
インタビュアー
東京で生まれ育ち、ロンドン、ボストンなど世界の都市を渡り歩きながら、現在は東京をご自身の拠点とされています。改めて、スプツニ子!さんにとって「東京」とは、どのような場所でしょうか。特に思い入れのあるエリアや街があれば教えてください。
スプツニ子!さん
私は東京で生まれ、新宿区で育ちました。両親の転勤で海外で暮らした時期もありますが、子ども時代の原風景といえば、やはり新宿です。振り返ってみると、当時の私にとって新宿は、いわゆる「大都会」という感覚ではなかったんです。高層ビルが当たり前のように視界にあって、少し歩けば伊勢丹のような百貨店があり、その先にはゴールデン街のような飲み屋街もある。性格のまったく違うものが隣り合って共存している、いい意味でカオスな街でした。その雑多さが、子ども心にもとにかく面白くて、刺激的でしたね。
小学校は地元の公立に通っていました。アジアにルーツを持つ友達も多かったですし、国立国際医療センターが近いのでお医者さんの家庭の子もいれば、団地で暮らす子もいる。育った環境も文化もさまざまな子どもたちが、同じ教室でごく自然に机を並べていました。早稲田大学も近く、学生さんの多い街でもあったので、幼い頃から本当にいろいろな人に出会えた。それは私にとって大きな財産だと思っています。今でも、新宿という街には感謝しています。
インタビュアー
新宿区には戸山公園など、緑もありますよね。住環境としても魅力のあるエリアだと思います。
スプツニ子!さん
戸山公園には箱根山もありますし、公園の池にはおたまじゃくしやザリガニもいました。「都会っ子が何を言っているの」と思われるかもしれませんが、私にとっては、緑の中で遊ぶことも決して珍しいことではなかったんです。
藤原社長
やはり、子どもの頃から多様なものに触れることは大切ですよね。新宿は、人種も含めて本当に幅広い。中学からはインターナショナルスクールに通われたのですか?
スプツニ子!さん
はい。中学は聖心インターナショナルで、高校は調布にあるアメリカンスクールに行きました。
藤原社長
調布のアメリカンスクールは、私が通っていた中学校の近くでした。当時、人気の芸能人が通っているという噂があったので、友達と会いに行ったら、警備員の方に怒られてしまいました(笑)。
スプツニ子!さん
敷地の中に入ると、まるでアメリカン・ハイスクール・ムービーの世界みたいでした。ロッカーが並んでいて、チアリーダーとアメフト選手がウロウロしているような(笑)。私はイギリス訛りだったので「ブリティッシュだ」といじられたり、コンピュータークラブに所属している完全なギークだったので、アメリカン・ハイスクール的な世界とは無縁でしたね。
藤原社長
著書『はみだす力』(宝島社)を拝読しましたが、少し「はみだしている」ところや、普通の人から見ると変わっていると思われる部分がありながらも、自分の信念を持って生きてこられた方なのだと、とても感銘を受けました。高校一年生のときに、頭を丸刈りにしたというエピソードには驚きましたけれど。
スプツニ子!さん
かなり、こじらせた思春期でしたね(笑)。
スプツニ子!さん
多様な新宿で育ち、その後、大学でロンドンに渡ったので、「東京とはこういう街なんだ」ということは、むしろ離れてみて初めて見えてきたように思います。私にとっての東京は、ファッションやデザイン、日本ならではの美意識、食文化まで含めて、とにかく文化の層が厚い街です。
例えばサンフランシスコは、テック産業の中心地らしい合理的な街で、車がないと移動しづらいところがあります。一方、東京は歩いて回れる街で、歩けば歩くほど、小さなお店や路地、飲み屋さんに出会える。どれだけ時間をかけても知り尽くすことができない奥深さがあります。そうしたカルチャーの豊かさこそ、東京の魅力だと思います。
ヒルトン東京の隣にある新宿中央公園では、夏になると盆踊り大会が開かれますよね。高層ビルの足元で、地域のお祭りの文化がごく自然に息づいている。これは本当に東京ならではの光景で、海外から訪れる方の目には、かなり独特に映るのではないでしょうか。
2020年代に入ってから、アメリカやイギリスの友人が東京を訪れることが増えたのですが、彼らはよく「東京はパラレルワールドみたいだ」と言います。
ロンドンやニューヨークのように、英語圏・西洋文化の中でテクノロジーと資本主義が発展してきた都市には、どこか共通したインターナショナルな空気があります。東京ももちろんテクノロジーの進んだ都市ですが、その進化の仕方が違う。東洋文化的、そして日本的な文脈の中で、独自の発展を遂げているんです。そこがすごく面白い、と彼らは話してくれます。
例えば、神田明神。とても歴史のある神社ですが、ICチップをかたどった「IT情報安全守護」というお守りがあります。神社の方に伺ったところ、交通安全のお守りも、車という新しいものが登場したからこそ生まれたものだそうです。そう考えれば、スマートフォンやコンピューターに囲まれて暮らす今の時代に、こうしたお守りがあるのはむしろ自然なことではないか、と。伝統が最新のテクノロジーをしなやかに受け止めていく、その感覚がとても東京らしいと思います。
藤原社長
やはり、海外の方は、私たちが気づかない視点でものを見ておられますね。私の叔母の家も新宿にあり、子どもの頃から遊びに行くことが多かったのですが、高層ビルがある一方で、下町っぽさの残る雑多な住宅街もありました。日本で最初に高層ビルが建ったのも新宿でしたが、その変わりようはすごかったです。それでも、新旧が混在する街の良さは、今も残っています。
『生理マシーン、タカシの場合。』(2010)
映像インスタレーション (カラー, 音声), スクリーン, 写真パネル, 3:24 min, サイズ可変;デバイス: アルミニウム, 電子部品, アクリル13 3/8 x 13 13/16 x 13 3/8" (34 x 35 x 34 cm)
©Sputniko!
インタビュアー
グローバルな環境で生きてこられたスプツニ子!さんならではの「稀な個人エピソード」として、作品や発想のヒントを街から得たような思い出があれば、お聞かせください。
スプツニ子!さん
私はロイヤル・カレッジ・オブ・アートの大学院で、スペキュラティブデザインを研究していました。テクノロジーやサイエンスの発展を見据えながら、10年後、20年後、あるいは100年後にありうる未来をデザインによって描き出し、問いを投げかけるというものです。
卒業制作では、男性が生理を体験する未来をテーマに、『Menstruation Machine - Takashi's Take(生理マシーン、タカシの場合。)』を制作しました。2010年に発表し、その後、MoMAや東京都現代美術館をはじめ、多くの場所で展示していただいた、私のデビュー作です。
この作品の舞台は、どうしても東京にしたいと考えていました。ロンドンから東京に戻ってチームを集め、吉祥寺のハモニカ横丁を歩くシーンなどを撮影しています。なぜ東京だったのかというと、当時のイギリスから見た東京には、まさにあの「パラレルワールド感」があったからです。
日本には、いい意味で、独自のカルチャーや視点、想像力があります。例えば、初音ミクとの結婚を真剣に宣言する人がいたり、同人誌の文化の中では、人間同士だけでなく、鉛筆と消しゴム、山手線と中央線までが擬人化されて描かれたりする。想像力の射程がとても広いんです。
イギリスではなく東京を舞台にすることで、「もしかしたら、こういう世界もありうるかもしれない」と、観る人に感じてもらえるのではないかと考えました。発表した当時は賛否両論で、「なぜこんなデバイスを作るのか」という声もありました。
藤原社長
私は住宅メーカーの出身なので、バリアフリーを考える際に、高齢者や妊婦の生活を疑似体験する装置が研究所にあったのですが、生理マシーンまでは思いつきませんでした。本当にすごいことをされたと思います。
スプツニ子!さん
16年経って、メディアや企業研修でも生理痛の体験を試みるところが増えてきました。時代は変わってきたなと感じます。
インタビュアー
ここからは「稀立地(マレリッチ)」というテーマにフォーカスしていきたいと思います。スプツニ子!さんは、この言葉をどのようにイメージされますか?
スプツニ子!さん
「稀立地(マレリッチ)」というキーワードを聞いて思い浮かぶのは、「ここに住みたい」「この街が好きだ」と人が自然に思い、集まってくる、そんな引力のある街です。
グローバルな視点で見れば、今それに当てはまるのは、やはり東京だと思います。「東京に住みたいんだけど、どうすればいい?」という相談を、世界中の友人から本当によく受けるんです。なかでもテック系やアート系の友人・知人は、東京に強い関心を寄せていますね。
藤原社長
なるほど、東京が注目されているのですね。我々は、供給が限られているからこそ、居住性や住環境を大切にしながら、できるだけ良い商品を選び、提供していくことが会社のブランドにもつながっていくと考えています。ただ高額なものを扱うのではなく、厳選し、そこに最善のものをつくる。そうしたコンセプトで、2019年に会社をスタートしました。
スプツニ子!さん
もっと前からある会社だと思っていました。2019年というと、創業してすぐに新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言がありましたよね。ご苦労されたのではないですか?
藤原社長
そうなんです。三人でスタートして、当時、私は56歳でした。「最後の第4コーナーで、こんな試練が待っていたのか」と思いましたね。人と直接会うこともできない中で、なんとか人を採用しながら、少しずつ営業活動を続けて、今日に至ります。
先ほど、海外のご友人が東京に住みたいとお話しされていましたが、東京の魅力の一つには、海外と比べて家賃が安いことも含まれているのでしょうか。娘がロンドンに住んでいるのですが、1LDKの家賃が50万円と聞いて驚きました。
スプツニ子!さん
本当にそうなんです。ロンドンでは、私が大学生だった頃から、海外の富裕層が投資目的で物件を購入する動きが広がり、同世代の友人やアーティストたちがどんどん住みづらくなっていきました。もともとその街で暮らし、文化をつくってきた人たちが、中心部に住めなくなってしまう。そういう現象が今も続いています。
東京も、「生活の質が高いのに、家賃も食事も手頃で最高だ」と海外から注目され、不動産価格が上がってきていますよね。東京がロンドンと同じ道をたどってしまわないか、最近は少し心配しています。
インタビュアー
海外のご友人は、東京のどんなエリアに住みたい、あるいは移住したいと考えているのでしょうか?
スプツニ子!さん
六本木ヒルズや麻布台ヒルズのような洗練された場所ももちろん素敵なのですが、ある意味では、シンガポールのマリーナベイ・サンズなど、世界の大都市にある風景とそこまで大きく変わらないとも思うんです。
私の友人たちが価値を感じているのは、むしろ谷中や根津のように、昔ながらの町並みが残っている場所や、古い日本家屋をリノベーションした住まいです。最近では、個性的なカフェやギャラリーが増えている清澄白河も人気ですね。
アーティストやデザイナーの友人が多いからかもしれませんが、その土地にしかない時間の積み重ねが感じられる街に、皆惹かれているようです。
藤原社長
浅草あたりもいいかもしれませんね。屋形船もあったりしますし。特にアート系の方は、下町らしさに魅力を感じるのでしょう。
インタビュアー
稀立地(マレリッチ)を構成する条件とは、どのような要素だと思われますか?
スプツニ子!さん
「代替が効かない」というのは、とても大事なキーワードだと思っています。
華やかで豪華なものは、資本さえあれば、グローバル化の流れの中で世界中のどの都市にもつくることができます。でも、谷中や根津、清澄白河、浅草のような街に流れている時間の積み重ねや歴史は、どこにも移植できません。そこにこそ、これからますます大きな価値が宿っていくと思うんです。
サンフランシスコのベイエリアは、OpenAIやAnthropicといったテック企業によって大きな富を生み出していますが、「それでも東京にはなれない」と言う人もいます。
その意味で、私はロンドンも好きなんです。世界有数の金融センターでありながら、ロンドンならではの歴史やアート、カルチャー、音楽がしっかりと根付いている。ニューヨークもそうですが、世界中から多様な人が集まり、知的な刺激に満ちた街に、私は惹かれます。
東京の良さも、それぞれの街の良さも、いくつもの都市で暮らしてきたからこそ見えてきたものです。そう考えると、自分はとても恵まれていたと思います。
インタビュアー
スプツニ子!さんが今後住んでみたい場所や、「ここは面白い」「新しい」と注目している場所があれば、お聞かせください。
スプツニ子!さん
今は東京に住んでいますが、学生時代を過ごした縁もあって、いずれはイギリスで暮らそうと考えていました。特にロンドンは、私が関わってきたデザインの分野において、アカデミックな面でも非常に刺激のある街だからです。
ただ、AIの時代になって、最近は少しだけ考えが変わってきました。まだ具体的な計画ではないのですが、今、気になっている場所のひとつがインドのゴアです。一年かけて世界各地で暮らしながら制作を続けてきたデザイナーの友人カップルが、ゴアでの日々について話してくれたことがきっかけでした。インドには、欧米とも日本とも違う、独自の文化や思想の体系があります。自分が当たり前だと思ってきた前提が通用しない場所に、一度身を置いてみたいんです。
AIは、すでに世の中の膨大な知識を学習し、再現できるようになっています。裏を返せば、多くの人が共有している知識や「正解」ほど、AIの得意な領域になっていくということです。だからこそこれからは、一人ひとりが実際に何を見て、誰と出会い、何を感じてきたかという、経験や視点の「オルタナティブさ」が重要になってくると思うんです。
例えば、名門校から名門大学へという王道の経歴は、もちろん大変な努力の上に成り立つ素晴らしいものです。でもAIの時代には、そうした「正解」とされてきた道筋そのものが、コモディティ化しやすいのではないでしょうか。
以前は私も、暮らすなら世界の大都市だと、どこかで思い込んでいました。でも子どもが生まれてから、それが本当にこの子たちにとって良いことなのだろうか、と考えるようになったんです。思えば私自身、新宿の公立小学校でも、両親の転勤で暮らしたニュージーランドやイギリスのマンチェスターでも、育った環境や文化の違う友達に囲まれて過ごしてきました。それが、いちばんの財産になっています。二人の娘にも、自分とは違う前提で生きている人たちと、当たり前のように出会える環境で育ってほしい。それは海外に限った話ではなく、日本国内にも、自然が豊かな土地や、ローカルな文化が息づく街がたくさんあります。
住む場所を選べること自体が恵まれたことだ、という自覚はあります。そのうえで、東京には東京の良さがあると知りつつ、あえて「多くの人が集まらない場所」に価値を見出してみたい。最近は、そんなふうに考えるようになりました。
藤原社長
今お話しいただいた、お受験をして、いい大学を出てという王道のエリートコースは、確かにAIが進化していくと、今ほどの価値を持たなくなるかもしれませんね。私は孫が三人いるのですが、いろいろな可能性を考えて、できるだけ多くの経験をさせてあげたいと思っています。
スプツニ子!さん
今は、経験すること自体にお金がかかる時代ですし、誰もが同じようにできるわけではありません。だから「経験が大切だ」とどこまで言っていいのか、私自身、葛藤もあります。それでも、お金をかけなくてもできるオルタナティブな経験は、実はたくさんあると思うんです。
その人らしさや強みは、部活動や趣味をとことん突き詰めることからも生まれます。遠くへ行くことだけが経験ではありません。そうした時間の積み重ねから生まれるものこそ、AIにはなかなか学習できない部分だと思います。
インタビュアー
最後に、これから家や土地を探す方々へ、稀立地(マレリッチ)を見つけるためのアドバイスをお願いします。
スプツニ子!さん
私にとっての「稀立地」は、緑や公園が身近にある場所です。毎日のことなので、住まいを選ぶうえでは、そこを何より優先したいと思っています。
例えば、代々木公園や富ヶ谷、参宮橋のあたり。カルチャーの集まる新宿や渋谷に近くてアクセスも良く、それでいて代々木公園や明治神宮の緑がすぐそばにある。とてもいい場所だと思います。
毎日寝て起きて、仕事やプライベートで少し落ち込む日があっても、窓から見える景色や、少し歩いたときに目に入る街並みに、ふっと気持ちが軽くなる。私は、そういう環境を大切にしています。
藤原社長
明治神宮はいい気が流れていますよね。特にお子様がいる方は、公園が近くにあると安心感があると思います。
本日は、大変貴重なお話をありがとうございました。これからの創作活動を楽しみにしています。
Sputniko!(スプツニ子!)
アーティスト
1985年、東京都生まれ。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート Design Interactions学科修士課程修了。テクノロジーと社会、ジェンダー、身体をめぐる問いを、映像、インスタレーション、音楽、ロボティクスなど、多様なメディアを横断しながら展開。遺伝子工学やAIなどの先端テクノロジーが社会や個人にもたらす変容を、神話や物語の語り口、ポップカルチャーの感性を織り交ぜながら、批評的かつ詩的に可視化してきた。
主な作品収蔵先に、M+(香港)、ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン)、金沢21世紀美術館など。主な展示に、ニューヨーク近代美術館、ポンピドゥー・センター・メッス、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館、金沢21世紀美術館などがある。
2013年から2017年までマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教を務め、デザイン・フィクション・グループを主宰。東京大学特任准教授、東京藝術大学美術学部デザイン科准教授を経て、現在は東京藝術大学客員教授。
藤原元彦
タカマツハウス株式会社 代表取締役社長
1962年生まれ。1985年積水ハウス入社。戸建住宅の営業として年間契約棟数全国No.1を記録。その後、支店長や各営業本部長を最年少で歴任し、「五本の木計画」などの街づくり戦略や、注文住宅領域の商品・営業戦略を統括した。2012年常務執行役員に就任。
2019年、髙松コンストラクショングループの戸建住宅事業を担うタカマツハウスの創業社長に就任。首都圏と福岡で、月2,000件を超える土地情報から約1%を厳選した希少な好立地に、分譲戸建住宅「ミラクラス」を展開している。組織運営では「落ちこぼれを作らない」を掲げ、社員一人ひとりが力を発揮する「湧き上がる組織」づくりを推進。経験豊富な人材が集まり若手を育てる風土を築き、営業開始から6年で売上高375億円へと成長させた。