二子玉川は、都心へのアクセスの良さと豊かな自然が融合した、住みたい街として絶大な人気を誇るエリアです。大型商業施設や洗練された再開発のイメージは広く知られていますが、なぜこの街が時代を超えて安定した高い価値を保ち続けているのかを説明するのは簡単ではありません。本記事では、二子玉川の成り立ちを歴史と地形の視点から整理し、「稀立地(まれりっち)」を扱うタカマツハウスの目線でその背景を読み解きます。

開発が進む前、この場所はどんな土地だったのか

多摩川のサイクリングロードからの景色 京王線鉄橋 散歩 夏の青空 東京都調布市

二子玉川という街を理解するには、まず「駅前が発展する前、ここがどんな土地だったのか」を知る必要があります。今のにぎやかな駅前の風景からは想像しづらいですが、この場所の価値の土台は、実は数万年単位の時間をかけて多摩川がつくり出した地形そのものにあります。

国分寺崖線が多摩川と出会う、水辺の高台という立地

二子玉川駅の周辺を歩くと、少し内陸に入っただけで坂道に行き当たります。この坂の正体が「国分寺崖線」で、世田谷区を南西から北東へと連なる崖の連なりです¹⁾。多摩川によって武蔵野台地が削られてできたこの崖線は、瀬田や上野毛のあたりでは緑豊かな高台の住宅地として今も残っています。

ほかの崖線沿いのエリアと二子玉川が異なるのは、この坂を下りきった先に、そのまま多摩川の水辺が広がっている点です。駅から徒歩数分の「兵庫島公園」では、崖線の緑を背にしながら、多摩川とその支流である野川が合流する様子を眺めることができます²⁾。坂の上には静かな住宅地、坂の下には開けた川辺の風景。この二つが徒歩圏内に収まっているのが、二子玉川という土地の大きな特徴です。

このような組み合わせは意図してつくれるものではなく、地形がもともと持っていた条件です。だからこそ二子玉川は、開発が進む以前から人が集まる場所であり続けてきたといえます。

「二子の渡し」と水辺の行楽地として育まれた歴史

もう一つの土台が、江戸時代から続く「大山道(矢倉沢往還)」という古道です。江戸の赤坂を起点に渋谷、三軒茶屋、用賀を経て、多摩川を渡る「二子の渡し」から溝口、厚木を通り、神奈川県の大山へと向かうこの道は、江戸中期に大山詣での旅人でにぎわった脇街道でした³⁾。

多摩川を渡る際にはこの渡し場を利用するのが常で、渡し場周辺には旅人向けの茶屋や常夜灯が置かれ、地域の生活と深く結びついていたと伝えられています³⁾。

この渡し場は、大正14年(1925年)に二子橋が架けられたことで役目を終えます⁴⁾。つまり二子玉川は、鉄道が通るよりも前から、多摩川を挟んで人と物資が行き交う「交通の結び目」としての性格をすでに持っていた土地だったのです。この「行楽と行き来の拠点」という性格が、後の鉄道開通や商業発展の伏線になっていきます。

タカマツハウス物件はこちら(タカマツハウス不動産)

鉄道開通と郊外型開発が生んだ人の流れ

日本の川崎都市景観 7月。二子玉川側から二子新地駅や準急押上・東急2020系電車などを望む

大山道による人の流れに、決定的な転換をもたらしたのが鉄道の開通です。二子玉川が「渡し場のある行楽地」から「都心とつながる郊外の拠点」へと役割を変えていく過程を見ていきましょう。

「玉電」から始まる交通の要衝としての発展

明治40年(1907年)、渋谷方面から玉川(現在の二子玉川)に至る路面電車が開業しました⁵⁾。「玉電」の愛称で親しまれたこの路線は、もともと多摩川の砂利を都心に運ぶための貨物輸送を目的の一つとして計画されたものでしたが、大山道沿いの旅客輸送も担うようになり、沿線の宅地化を後押ししていきます。その後、昭和13年(1938年)に東京横浜電鉄(現在の東急電鉄)と合併し⁶⁾、東京の郊外を結ぶ路線網の一部として組み込まれていきました。

戦後は自動車の増加で道路事情が厳しくなり、玉電は昭和44年(1969年)に姿を消しますが、その代替として地下を走る新玉川線(現在の東急田園都市線の一部)が昭和52年(1977年)に開通し⁷⁾、渋谷と二子玉川は改めて鉄道で直結されることになりました。現在も二子玉川から渋谷までは乗り換えなしで結ばれており、日々の通勤・通学の利便性は変わらず高い水準を保っています。

日本初の郊外型SC(玉川高島屋S・C)が変えた街の価値

そして、二子玉川の街のイメージを決定的に変えたのが、昭和44年(1969年)11月11日に開業した「玉川高島屋S・C」です。これは百貨店を核として専門店と大型駐車場を組み合わせた、日本で初めての本格的な郊外型ショッピングセンターでした⁸⁾。当時すでに自動車の時代が来ることを見越し、120店舗ほどの専門店と広い駐車場を備えた「ワンストップショッピング」ができる施設として誕生した点が画期的だったといわれています⁸⁾。

それまで「都心に出て買い物をする」のが当たり前だった時代に、郊外にいながら質の高い買い物や食事ができる環境を整えたことで、二子玉川は単なる住宅地ではなく「暮らしの質そのものが高い街」というブランドイメージを獲得していきます。この開業を境に、二子玉川は全国のショッピングセンター開発のモデルケースとしても注目される存在になっていきました⁸⁾。

タカマツハウス物件はこちら(タカマツハウス不動産)

なぜ二子玉川は「自然」と「都市機能」を高度に両立できるのか

多摩川河川敷を隔てて望む二子玉川駅周辺の街並み

鉄道と商業施設によって都市機能を手に入れた二子玉川ですが、この街が今なお選ばれ続けている理由は、そこで自然環境を失わなかったことにあります。

二子玉川ライズに見る再開発と環境共生の思想

平成に入ってから進められた「二子玉川東地区」の再開発は、2011年に第1期が完成し⁹⁾、複合施設「二子玉川ライズ」として結実しました。

オフィスや商業施設、タワー型の住宅、ホテルなどが一体となったこの開発では、多摩川の河岸段丘や国分寺崖線をイメージした大規模な屋上緑化空間が整備され、生物多様性の評価制度である「JHEP認証」で最高ランクのAAAを取得しています¹⁰⁾。オフィス棟についても、2015年8月に環境性能評価「LEED」のゴールド認証を国内4例目として取得しました¹⁰⁾。

これは単なる緑地の演出ではなく、「都市機能を集積させながら、多様な年代の人が多様な目的で集える複合機能都市をつくる」という開発コンセプトそのものに基づいています¹⁰⁾。駅前に高層ビルが立ち並びながらも、川辺に出れば途端に景色が開ける──この対比こそが、二子玉川が長く選ばれ続ける理由の一つです。

単なるベッドタウンで終わらなかった背景

再開発と並行して、世田谷区は多摩川と国分寺崖線に接する場所に「二子玉川公園」を整備し、2013年4月に開園させました¹¹⁾。

約6.3haの敷地には、区立公園として初となる本格的な日本庭園や、登録有形文化財の旧清水家住宅書院が復元されており¹¹⁾、世田谷区が掲げる「区内の3分の1をみどりにする」という目標の一環にも位置づけられています¹²⁾。

さらに、多摩川の河川敷では区民参加による清掃活動「せたがやクリーンアップ作戦」が毎年実施されており¹³⁾、住民自身が水辺の環境を守る意識を持ち続けていることも、この街の落ち着いた雰囲気を支える要因になっています。

開発によって便利さを手に入れても、自然を管理し続ける仕組みと住民の意識が並走してきたからこそ、二子玉川は「ただの人気商業エリア」で終わらなかったといえるでしょう。

タカマツハウス物件はこちら(タカマツハウス不動産)

タカマツハウスは二子玉川の土地をどう見るか

【東京都】買い物客で賑わう二子玉川駅前のスクランブル交差点

周辺環境の読み解き方

二子玉川の大きな特徴は、街全体の落ち着きと治安の良さにあります。強引な客引きや過度に賑やかな繁華街が少なく、駅周辺は品の良さと静けさが両立したエリアとして知られています。上質な住宅地として長く親しまれてきた土地柄を反映して、 オーガニックな食への関心や、子育て・教育への意識の高さも、この街に住む人々の特徴として挙げられます。多摩川の河川敷や公園も、利用する人たちのマナーの良さによって、快適で穏やかな環境が保たれています。

こうした環境の良さから、二子玉川は特に30〜40代の子育てファミリー層と、50〜70代のアクティブなシニア層から支持を集めています。ファミリー層にとっては、自然環境とバリアフリーな街並み、教育水準の高さに加え、渋谷まで乗り換えなしで移動できる職住近接の利便性が魅力です。

実際に東急電鉄自身も、二子玉川エリアを子育て世帯にうれしいポイントの多いまちとして紹介しています¹⁴⁾。一方シニア層にとっては、駅前で買い物や医療、映画、食事までが完結する便利さと、多摩川沿いを散歩できる健康的な環境が、暮らしやすさとして評価されています。

不動産価格と、その背景にある要因の捉え方

私たちが二子玉川の土地を評価する際にまず意識しているのは、「希少性」と「裏付けのある将来性」の二つです。二子玉川エリアの住宅地は、世田谷区平均の坪単価と比べても頭一つ抜けた価格帯にあり、区内でも上位に位置づけられるエリアの一つです¹⁵⁾。

実際、駅に近い瀬田周辺の住宅地は2026年時点で坪270万円台まで上昇しており¹⁶⁾、渋谷へのアクセスの良いエリアほど坪単価が高くなる傾向がこの街にも表れています¹⁵⁾。もう一つ重視しているのが、供給の少なさです。国分寺崖線と多摩川に挟まれたこのエリアは、まとまった規模の土地が新たに市場へ出てくる機会自体が限られています。

そのため、二子玉川ライズのようなタワーマンションでは、2026年に入って坪単価が1,000万円を超える成約も見られるようになっており¹⁷⁾、需要が供給を上回る状態が続いています。私たちが土地を評価する際は、目先の相場だけでなく、こうした「地形的な希少性」と「再開発によって積み上げられてきた実績」の両方を裏付けとして捉えるようにしています。

担当者コメント

「二子玉川は、時代の変化とともに『水辺の行楽地』から『日本初の郊外型SCの街』、そして『職住近接の最先端再開発街』へと役割を変え続けてきた土地です。江戸から明治にかけては大山街道の渡し場として料亭が並ぶ行楽地でしたが、1969年の玉川高島屋S・Cの開業によって洗練された商業地へと転換し、2000年代以降の二子玉川ライズの再開発により、自然と商業、ビジネスが融合した最新の都市モデルを確立しました。私たちが土地を仕入れる際にも、こうした『進化を重ねてきた土地』であるかどうかを重要な視点として見ています」

二子玉川の事例から見る「稀立地」という考え方

新二子橋/多摩川より二子玉川駅方面を望む(東京都世田谷区)

二子玉川は、多摩川や国分寺崖線という豊かな自然地形をベースに、大山街道の宿場・行楽地から郊外型商業、そして最先端の都市再開発へと役割をアップデートしながら価値を積み上げてきました。

単なる人気の商業エリアという表面的な理解にとどまらず、自然の利と都市機能を巧みに融合させてきた歴史があるからこそ、現在の高い評価が築かれています。歴史と地形を重ねて見直すことで、二子玉川という街が選ばれ続けてきた本質的な理由が立体的に見えてきます。

タカマツハウス物件はこちら(タカマツハウス不動産)

タカマツハウス
理想の住まいづくりのヒントに。世田谷区の洗練された施工事例を公開中

出典・参考元

引用文献

¹⁾ 世田谷区公式ホームページ「国分寺崖線ってなあに?」https://www.city.setagaya.lg.jp/02074/4692.html

²⁾ 一般財団法人世田谷トラストまちづくり「国分寺崖線調査」https://www.setagayatm.or.jp/trust/research/gaisen/index.html

²⁾ 世田谷区公式ホームページ「兵庫島公園」https://www.city.setagaya.lg.jp/02075/9195.html

³⁾ 世田谷区公式ホームページ「大山道」
https://www.city.setagaya.lg.jp/02212/10504.html

⁴⁾ 世田谷区公式ホームページ「大山道の歴史」
https://www.city.setagaya.lg.jp/02212/10507.html

⁵⁾ 世田谷区公式ホームページ「玉川電気鉄道(玉電)」https://www.city.setagaya.lg.jp/02212/10489.html

⁶⁾ 株式会社髙島屋「玉川髙島屋S・C 開業50周年」https://www.takashimaya.co.jp/base/corp/topics/190820.pdf

⁷⁾ 東急建設株式会社「二子玉川ライズ|実績紹介」
https://www.tokyu-cnst.co.jp/works/319.html

⁸⁾ 二子玉川ライズ公式サイト「環境への取り組み」
https://www.rise.sc/whatsrise/environment/

⁹⁾ 世田谷区公式ホームページ「二子玉川公園」
https://www.city.setagaya.lg.jp/02075/9194.html

¹⁰⁾ 世田谷区公式ホームページ「区立二子玉川公園基本設計」https://www.city.setagaya.lg.jp/02075/4883.html

¹¹⁾ 世田谷区公式ホームページ「せたがやクリーンアップ作戦について」https://www.city.setagaya.lg.jp/01101/15915.html

¹²⁾ 東急・東急電鉄公式サイト「二子玉川駅のまち情報・お出かけスポット」https://www.tokyu.co.jp/area/futako-tamagawa/

¹³⁾ トチヲブンセキ「世田谷区 坪単価ランキング【2026年】」https://totiwobunseki.com/setagaya-land-price-ranking/

¹⁴⁾ トチノカチ「瀬田(世田谷区)の地価・土地価格(公示地価)」https://totinokati.com/kakaku/place/13112-U0075/kouji/

¹⁵⁾ 「【2026最新】二子玉川の資産価値と坪単価」https://mij-jp.com/solidhouse/futakotamagawa-real-estate-2026/